今年、Haruフラワーデザインスタジオという屋号を付けてから20年になる。
専業主婦だった私は、娘が3歳で幼稚園に入園してから、空いた時間を毎年少しづつ花の時間へとシフトし続けて今となった。

もう子供たちは自立して、20歳をとうに超えているが、ご飯を食べさせなきゃ、という恐怖にも似た食事準備の時間スケジューリングや、
家の諸々のことへの責任から抜けられず、かつ、家の諸々のことをするのが好きだ。一年で一番忙しい時期、なぜか、無理してでも、自家製飯寿司や漬物をやはりつけたいのだ。

25歳で華道教室をはじめて、子どもが宿り、入退院を繰り返した私は、花よりも自分の子どものほうに心が惹かれ、2人の子どもと夢中で必死に楽しく室蘭という鉄の街で暮らしていた。
札幌に住むことになり、6年間の休止後、花の世界のことも忘れていたので、現場に立とうとも、たいして花の指導をしようとも思っていなかったのに、ひょんなことで、家の居間で、当時気の合うお母さん2人と花と美味しいコーヒーとお菓子で優しいゆとりの時間を過ごすことになり、
私は花を教え、ひとりはお菓子を焼き、が、繰り返され、教室のようになり、数年後に教室は11か所となっていった。

他にも制作や講習やボランティアなどの花の仕事が増えたので、時間を創るのに寝なかった、という記憶しかない。
今では2,3日ほとんど寝ないで何かをすることなど到底できないが、当時は若かった。
寝る以上に、したいほうが勝っていたのだと思う。

現在教室は札幌の文化センターと個人レッスン、そしてなぜか縁あって大阪が主体となっている。
全て人のおかげである。

昨年、もう3年目になるので、大阪のみなさんが上手になったなあ、と実感した時、このまま花展にだしてもいいほどの作品を多々目にしたので、
「練習したそのまま、普段通りに展示して見てもらいましょうか?2月に連休あるので、前の日練習してそのまま飾って」と、皆さんに提案して、20周年は、あとから気が付いて、それなら、記念にしようかな、と途中で入れたのだった。

入れてしまってから、感慨深くなっていった。
13歳で花を始めた頃から今までを回想していた。
回想するたびに、いろんな人の顔や、いろんな時のスチュエーションや、その時の花が思い描かれ、
すべてのことが「御蔭様で」続いた、としか思えなくなった。

秋に愛知県の登録文化財 旧石原邸で、ボイスアーティストで旧友でもある大辻織絵氏とコラボした際に、周囲が感動して駆け寄ってきてくれた。
その時の感動を、今度は生徒さんや来てくださる皆さんに「お陰様」での感謝のプレゼントにしたい、そう思った。

即興で演じるので、当日でないと何ができるのかは全く見当もつかない。
大辻織絵さんは、当日のインスタレーションについてブログにこう記して下さっている。

https://www.orieotsuji.com/2019/01/27/花作品の展示会にて-花パフォーマンスとヴォイスアート共演-大阪天満橋/

私は生徒さんに、このほうがいいよ、というような手直しは、その日はしない。
彼女たちのふだん通りの「い・つ・も」は花といっしょに輝いている。それをそのまま表現してほしいと思っている。
花と自分自身の自己循環と自己満足が、人にはどう感じるのか映るのか、他との循環と自他満足を、実際に体験して実感で得てみてほしい。それは、それぞれの中で、生きていく上での力や宝になると思っている。

大阪の天満橋駅そばの「セミナールーム コクリ」さんで教室をしているので、そのまま次の日もお借りした。家主である社長さんが、自らもおもてなしやホスピタリティの企業研修などをなさっている講師なので、いつも痒いところにてが届くような心遣いですべてが出来ていて、居心地がいい。
今回も、いろいろにご配慮いただいて、感謝の念に堪えない。

 


とうとう来週にとなって、準備や荷物の梱包で一日が終わる。
怖くもあり、ゾクゾクもし、わくわくして、楽しみでもある。

札幌の個人レッスンの生徒さんも一緒に展示するので、札幌からいらしてくれる。
他の生徒さんも、四国や鳥取からも来てくれると、うれしいメッセージが届いた。

気の合うみんなと、その時、花を通して、集まれて、元気で逢える。
そのことが、一番幸せに感じる瞬間だな。
と、そう思っている。

 

 

森直子 https://www.harufds.com/

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