先日、教室のことをブログに書いた中で、
概念を(なぜそうするかの理由や目的など)説明すると
自然と上手にできるようになる。
とお話しました。
それは、今の教育がそうだから
それに慣れているのだろうと感じています。
本来であれば、
職人としての技術は、感覚と体で覚える、
理屈の世界観というよりは、
高度な感覚の世界です。
昔の日本の職人技は豊かな感性で会得していました。
科学的に計測し、分析し、データー化するのは
無機質な物質には向いていますが、
植物や有機質はいのちあるいきものなので変化が常です。
ですので、
人の高度な感覚のほうが
一層、生命力のある、輝いたものが産まれると
私は思います。
即興で創るとき、植物を感じとります。
感性の世界は機械では絶対に創ることができない
微妙なミクロの薄皮一枚のような
感覚は
計算だけでも
意識だけでもできません。
無意識の細胞で身に付いた手が
鋏を通じて長さ、角度、奥行き、大きさ、を
本能的に即決即断を積み重ねて
動いてゆだねていく感覚です。
何回も何回も繰り返し繰り返し
体が覚えているものです。
きっと
長い長い間農耕民族だった日本人は
なにかを創るとき
自然に豊かな感性を使って
有機的な物質で
生活の道具を創ってきたDNAがあるのかもしれないと
自分を見ていて
そう思います。
自分のつくるものをみて、あ~まだまだだ、、
、頭より手を動かさなくちゃ。
と思います。