子どものころから夢はほとんど持ったことがなく、
小学校の卒業文集に「将来の夢」を書くときにも
適当に「らしい」ことを無理やり書いた。
「花屋さん」
こじつけて書いたこの言葉は今、ある意味現実になっている。
いつも現実的な私は計画や発想はしても、
夢はいまだにない。
進学や就職する時も将来はこんな風になりたいと思ったことがなく、
両親に将来なにになりたいのかと問われて
「市役所の受付嬢になろうかな」などと言っていた。
しいていえば「お嫁さんになってみたい」「せっかく女性に生まれたからその機能を使って、子どもを産んでみたい」と思ってはいた。
5年先、10年先の計画を立てて、そうなるにはどうしたらよいかを考えて行動したらいいよ、
とよく言われるけれど、そうした試しがない。
今日も言われたので、笑ってごまかしてしまった。
土壇場で決断したり、迷ったりする即興行動が
面白くて楽しくて好きなんだな、と最近自分で思う。
息子と受験のことを話しながら、
自分はそうではないくせに
「将来こうなりたいとか、こんな風に生きてみたいとか、あるの?」と聞いている自分。
先にこの世から消えると思うと、息子の将来が心配で聞いたんだな、と。
信用しないで、申し訳ないことを聞いちゃった、と
話をしてからそう思った。
いまさら
「お母さん、信用してるから自分の思うようでいい」なんて言ったら
「どうしてころころ意見変わるの」と言われそう。
話している時息子は
「お母さんの意見がききたかったんだ」と言った。
私はほんとうに自分を押しつけてはいないだろうか、客観的視点だろうかと迷いながら、
ちょっとだけ泣きながら、自分なりの意見を述べた。