私は昔、母性はさほどありませんでした。
子どもを授かって、おなかに宿ったとき、花の道は休止しました。
花の先生はたくさんいるけれど、
この子たちの母は私しかいないと思ったからでした。
おなかが膨らんできて、
自分が哺乳類だったんだ、と不思議な感覚になりました。
出産しなくてももともと目覚めている方のほうが多いとおもうのですが、
私の場合はそれをきっかけに、本能が目覚めてゆきました。
生き方も変わり
頭脳以上に本能で行動するようになりました。
おなかの中で育っている物体は自分と一体化しているのではなく、
別の人間、人格だとも本能的に感じました。
子育ては
日々、自分を捨てる、横に置いて奉仕する、ということの連続で喜びと忍耐は紙一重でした。
現実は表裏一体で、どちらも私に与えてくれました。
失敗の連続で、
とくに初めて産んだ長男には
薬を誤飲した!と勘違いして救急へかけこんで、なんともないのに胃洗浄をしてしまったこともありました。
どうしても感情が保てず、叩いてしまったこともありました。
傍からみると、母であるあなたが悪い!といわれるような
申し訳ない、かわいそうなことをたくさんしてしまったのですが、
なにがあっても子どもはすべて許してくれました。
絶対的に私を愛してくれました。
素直にそのままの喜怒哀楽を表現してくれました。
大人になって素直でなくなっている自分に気づき、
だからこそ、自分も子どもに戻って、
それにこたえようこたえようと、
ことば、行動、表現で愛情を伝えました。
そんな日々を子どもたちが小さいころはずっと夢中で過ごしました。
私の中に眠っていた本能はその繰り返しによって、
どんどん開花していったように思います。
だから、私は情があることは必ずしも悪いことではないと思っています。
あるときは冷静客観、ある時は愛情あふれる、
そんなぐちゃぐちゃな感じの、
清濁併せもつハーモニックなバランスの人間らしさを
みんな兼ね備えて生活しているのではないかとも感じています。
こどもがいてくれたおかげで、
いろいろなできごとが起きて、いろいろな経験をしました。思うこともありました。
喜びも悲しみも苦しみも楽しさもたくさんたくさんありました。
そんな中でうまれたのが、現在の「いのちとこころの花育」でした。
来年で活動は10周年を迎えます。
今は子どもたちももう大きくなり、それぞれの道へ向かってゆきつつあり、
もうあまり私はいらなくなってきました(笑)
小さいころはそんなことを夢見て子育てをしていたのですが、
いざなってみると、さびしくも頼もしくも感じます。
どんな環境にいても、
元気でいてほしい、
人と愛情交歓のできる人であってほしい、
人としあわせを分かち合える人であってほしい
と願っています。
今年一年ブログを読んでくださったみなさま、
つたない文章をほんとうにありがとうございます。
コメントやぺたなど、とても励みになりました。感謝です。
このブログを、なんども投稿雑誌にまとめて下さった東出隆さん、ありがとうございます。
心よりお礼申し上げます。
みなさまにとって
2013年もすばらしい一年になりますようお祈り申し上げます
自分自身の中の本能的な部分を表現した、2010年作品 「無意識」
森直子