いのちとこころの花育のテキストの中で
調和とバランスと健康のことについて、さっき書いていました。
自分の中に葛藤はありますか?
私たちは同時にいくつかの願望や欲求があったりします。
その中には、両立が難しかったり、
2つの欲求の強さが反対のベクトルで釣り合ってしまって、
緊張状態のときに
葛藤が起こりやすいんじゃないかと思います。
たとえば、
今の仕事を辞めたい、でも現状の安定した収入がほしい、
恋愛したい、でも傷つきたくない、
ペットを飼いたい、でも死ぬのを見るのは嫌だ、
痩せたい、でも食べたい、
などなど。
そんなときは、自分のあまりの貪欲さに自分でも手を焼いてしまいます。
ついつい時を待たずに解決したくなります。
人間であることが嫌になり、
人間を超えてしまいたくもなります。
でも人間なので、超えることはできない。
これも葛藤です。
いのちは割り切れるものではなく、変化で不定です。
矛盾と葛藤は持っています。
相反しているものと戦争することほど消耗するものはなく、
無理やり白か黒に決めて、一つのベクトルを切り離しても、
ベクトルのチカラ関係で、また別の葛藤を生んだり。
大義名分を作ってみたり。
共存すると自分が平和だな、と思います。
それには、どっちもあるんだな、と認めるということができたら戦争しなくてよくなります。
自分の中の相反するものを認めると、
融合はしなくても、調和はします。
人はいろんな時があるよね、とか、
いまはそういうときなんだな、とか、
思えてきます。
切り花もいつもそうです。
いろんな時があって、いろんな環境があって、
咲いてほしくても、そのまま咲かずにしおれるときも、
まだ咲いてほしくなくても、あっという間に咲くときもあります。
どうしてこんなときに咲いちゃうの!?我慢しててよ!などと、
花を責めることは無理です。
花は変化します。動いています。
許して、自分のなにが原因だったのか探るだけです。
いつもそんな風に思って平和でいたいけど、ぜんぜんそう思えないときもあります。
それも私の中の葛藤です。

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