先日花育講師が誕生し、その方のご了承を得て、試験の際の小論文をこちらでみなさまと初めて共有してみようと思いました。

正誤はないので、

「私もそう思う」「私はこう感じる」などなど、考えたり、感じたり、気づいたり、の機会を創出できましたら幸いと思ったからです。

 

------------以下原文--------------

子どもは、今こそもっと多くの心を育む時間を持つべきだと、私は考える。
近頃の子どもたちは、無機質な活字と洪水のような情報のなかで、比較で自分の輪郭をなぞり属性で理解したと思い込む。

自己理解することも、人と深くかかわることも 傷つきたくも傷つけたくもない心は無意識に表面的な理解と一定の距離を保ち年齢だけは大人になる。

いつの時代でも初老は今を憂いているものだ。私もその一人にすぎないのかもしれない。しかし昨今の自殺の低年齢化に驚く。小学生の三割が自死を思ったことがあるとのデータを見たときの衝撃
忘れられない。

一般的に思春期の自殺が多いのは今に始まったことではないが、まだまだ疑いなく天真爛漫に朝を迎える幼い年代の子どもたちが、自死を選ぶ時代。

幅広い年齢と関わるが決まって心の不調を訴えるのは更年期でもない若い子たちだ。なぜか?心を鍛え
る機会がなかったか?はたまた前人未到のこころの過酷な時代なのか?

私は、この疑問の答えを探すより一刻も早く目の前の子どもたちに、生きる力、生きる根っこを育む活動をしたいと考えた。

保育士資格で学んだ知識や自身の子育てに悩み苦しみの中で反省し得た感覚を利用し、未来に役立てたい。私が花育と出会った理由である。

まず花育の素晴らしいところは、素材が有限のいのちの生きものであることである。子どもが大好きな草花はいずれ枯れ死ぬ。その死生観を感じとり、慈愛のこころを育み、自己を表現することの楽しさを知り、自然と感謝する気持ちが芽生える機会となる。

いきものでしか得ることができない学びがある。

老いを目の当たりにする機会が少ない近頃の子どもたちにこそ、限りあるいのちを感じる時間を持つことは、ものごとの貴重さや感謝を育むこととなるだろう。

次に花育で扱う草花は、どれも一つとして同じものはなく、それぞれに美しいことである。

大人は、子どもについわかりやすい人生の成功モデルを指さす。子どもから見えるのは限られた人生の選択肢である。コースに乗れないと自信が持てない。あなたはそのままで素晴らしく、懸命に生きているだけで立派であることを伝えたい。

花育は、多種多様な草花が、色鮮やかにただただ咲いている姿に、人も同じ誰も彼も唯一無二で、自分は自分でいいと悟り、自己肯定感を育むことができる。

 

そして花育は知識教育ではなく、育むことを促す体験型であることが、性差年齢差関係なく、その時々、その人に必要なことが気付くように体得できる。

この体験はどんな学びよりも強くこころに残る。じっくりと自分を感じるとること、できた作品を誇らしげに眺めること、こころの活力がみなぎる瞬間である。

これらから、花育はとても豊かに心を育て有益なことがわかる。

 

冒頭に述べた心を育む時間として、花を体験する機会は、大人も子供も生きる根っこを立て直し、明日を活き活きと生きるいのちの栄養になりえると考える。

 

--------------以上---------

 

北海道の保育園施設長さんの文章です。

ご協力ありがとうございました。

 

森直子

 

 

 

 

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