花育活動が、満十周年を過ぎ、11年目を迎えました。
当時は、花育という名前すらなくて、
虐めをなくしたい一心でした。
どうしたら、人をモノじゃなく、人と感じるように思ってもらえるんだろう、
相手も自分と同じように人間なんだ、怪我をしたり、傷ついたら痛いんだ、と感じる気持ちがうまれるんだろう、
子育ての中でずっと考えていたことを、
花しかできなかった私は、
花をモノじゃなく、生き物と感じることを、体験で実感してもらえたら、
もしかしたら、
隣にいる友達のことも、そう思えるようになるのではないか、と手さぐりで始めました。
当時は、ほんとうに説明するだけで、たいへんで、ひとりひとりにお話を何回も何時間もして、ようやっと、無料でさせていただける、
という、数年間でした。
周囲の反対も多々あり、精神的にくじけそうになることもたくさんありました。
途中、花育という名前が出来て、なんて楽になったんだ、と。
$花 は 愛
物言わぬ花に接しながら、慈愛がどんどん引き出されていく光景を目の当たりにするたび、
確信を得、突き動かされるように次々とどこへでも足を運びました。
今もそれは変わりません。
$花 は 愛
長野県の講師から花育講演依頼の連絡が入り、
7月には、花育講師養成講座と、花育の講演を人にできる本格的な人材がやっと生まれるんだ、と思うと、
なにもないところをつまずきながら歩いてきた、今までのいろいろな時、絶望と希望を繰り返した時の流れ、
そして子供たちの無邪気な笑顔に支えられた日々が、蘇ってきました。
こんな日がくるとは、夢にも思っていなかったし、想像もしていませんでした。
自己満足でしてきたことが、他の満足にもなっていて、そしてその周りの人も悦んでくれている今、過去のすべては報われ、
しあわせです。
$花 は 愛
すべて人のおかげだったんだ、と
目から鱗が落ち、
パラドックスで実感しています。
感覚の認識を増やすことで人は器が大きくなり、成長し、寛大になり、違いを認め合えるきっかけになる。
自分の中に慈愛を見つけることで、自分への愛情も養われ、生きる力になる。
そんな風に願っています。
続けることが、自分の精一杯の目標でもあります。
与えることは求めること、
求められることはあたわること、とも思います。


この場をお借りして、今まで関わってくださったみなさまに
心よりお礼申し上げます。
ありがとうございます。
森直子

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